少女ヘジャル
トップページへ
イントロダクション
ストーリー
スタッフ&キャスト

少女ヘジャル/スタッフ&キャスト
シュクラン・ギュンギョル シュクラン・ギュンギョル(ルファト)
1926年11月21日、トルコのチネ生まれ。イスタンブール大学法科在学中に演劇を始め、スタインベックの「二十日鼠と人間」で舞台デビュー。卒業後は俳優として活躍し、出演した舞台作品は80近くにのぼる。1999年にはチェーホフの「かもめ」で演劇賞を受賞している。
映画では2000年にゼキ・オクテン監督の"Gule Gule"(03年10月東京のフィルムセンターにおいて『さようなら』のタイトルで上映)でトルコ国内の主要映画祭の最優秀男優賞を受賞している。その他の映画出演作には"Goodbye!"(51)、"The Carpetmaker Girl"(53)、"Ayse, My Daughter"(74)、"The Forbidden Love"(74)、"Away From Home"(01)などがある。
『少女ヘジャル』出演によって、アンカラ国際映画祭などで最優秀主演男優賞を受賞したギュンギョルだったが、2002年9月15日、膵臓ガンのためイスタンブールで亡くなっている。
ディラン・エルチェティン ディラン・エルチェティン(ヘジャル)
新聞広告で応募した150人の子供の中からヘジャル役に抜擢され、この映画でデビューした新星。両親はクルド人だが、彼女はクルド語をまったく知らなかった。しかも当時まだ5才半で、読み書きがまったくできなかったというのに、15日間でクルド語のセリフを覚えてしまったという。
監督は3ヶ月かけて演技を教え、テスト撮影に至る。そして撮影が始められた時には、ディランは脚本も台詞もすべて理解し、撮影第一週ですでにプロの女優並みになっていた。撮影スタッフたちは彼女を可愛がり、ディランもまたスタッフを信頼し、10週間にわたった撮影が終ると、スタッフたちはへとへとになっていた一方で、ディランは元気いっぱいだったという。
フュスン・デミレル(サキネ)
1958年、アンカラ生まれ。ペルージャ大学で外国語を習得し、1978年から80年にかけてローマの演劇アカデミーで演技を学び、さらにアメリカの前衛演出家ジュリアン・ベックのリヴィング・シアターで半年間、演劇訓練を受ける。その後、82年までの間、ベルリンの劇場で舞台に出演。トルコに戻ってからもさまざまな劇場で女優として活躍している。
1984年に映画デビューし、映画女優として数々の賞を受賞しており、近年の映画出演作には、"Moon Time"(94)、イペクチ監督の"Dad is in the Army"(95)、"Insect"(96)、"Runaways from Hollywood"(97)、"The Wound"(98)、"The Extra"(99)などがある。
女優業以外に、翻訳家、出版家としても活躍している。
ユルドゥス・ケンテル(ミュゼェイェン)
1928年10月11日、イスタンブール生まれ。アンカラの国立演劇学校を卒業後、11年の間、国立劇場で女優と演出を務めている。その後、ロックフェラー財団の奨学金を得てアメリカに渡り、アメリカン・シアター、ネイバーフッド・プレイハウス、アクターズ・スタジオといった有名演劇学校で演技と新しいドラマ指導メソッドを学ぶ。
トルコではアンカラ国立演劇学校で演劇指導教授になり、59年に国立劇場を退任すると、兄のミュスフィク・ケンテル、夫のシュクラン・ギュンギョルとともに自らの劇団を立ち上げた。
国内のみならずイギリスにも招聘され演劇メソッドの指導を行い、62年には「ウーマン・オブ・ジ・イヤー」に選出されている。
また旧ソ連、アメリカ、イギリス、ユーゴスラビア、ドイツなどでも舞台にのぼる。女優としてまた演出家として関わった作品は、実に100以上にものぼり、レパートリーはシェイクスピア、チェーホフ、ブレヒト、イヨネスコ、テネシー・ウィリアムズ、アーサー・ミラーといった名作からトルコの現代劇まで多岐にわたっている。
演劇、映画界の受賞も多いが、その他、81年には国民女優賞を、84年にはイタリア文化協会から世界でもっとも成功した女性に送られるアデライデ・リストリ賞(日本ではかつて宮城まり子が受賞している)を受賞し、94年にはフィンランドにある国際女性協会によって、20世紀に最も活躍した100人の女性に選出され、97年にはトルコ文化省から長年にわたる演劇活動によって名誉賞を授与された。
現在、イスタンブール大学演劇科の主任教授を務めている。
出演した映画作品にはイスタンブール国際映画祭で上映された作品も多く、主な作品に"For the Motherland"(51)、"Ayse, My Daughter"(74)、"The Desert Mouse"(77)、"Madam"(88)、"Gule Gule"(00)などがある。
I・ハック・シェン(エブドゥ)
1927年生まれ。アンカラ教員養成学校を卒業し、芸術学院の教員となる。学生時代から演劇コースを学び、初めはアマチュアの俳優だった。
その後プロの俳優になり、少年矯正院などで演劇を教えた功績を讃え、多くの賞や感謝状が授与されている。
出演した舞台作品は100以上にわたり、1960年代からは映画にも出演。主な作品に"Satan"(74)、"The Troupe"(75)、イペクチ監督の"Dad is in the Army"(95)などがあるが、助演男優としてトルコ映画に欠かせない存在となっている。また何本かの映画作品の脚本やラジオ番組の台本も手がけている。
ハンタン・イペクチ(プロデューサー・監督・脚本)
1956年、トルコの首都アンカラ生まれ。ガジ大学のメディア学部でラジオとテレビについて学ぶ。93年にドキュメンタリー"Song of the Kemence"で監督デビュー。この作品はトルコの現代詩人ヤサル・ミラチが台詞を書いている。
翌年、初の長編劇映画"Dad is in the Army"を発表。この作品では、1980年に起こった軍の襲撃事件を子供の視点で描いた。新人監督だったためにプロデューサーが見つからず、イペクチは自ら資金集めに奔走し、公開されるや一万人の動員を記録した。さらに95年のベルリン国際映画祭ではパノラマ部門に出品され、国内でも監督賞、脚本賞など様々な賞を受賞している。
7年の歳月を経て、2001年に長編劇映画第二作『少女ヘジャル』を製作。国内では10万人の観客動員を果たし、トルコ国内の映画祭では賞を総なめ、また02年のアカデミー賞外国語映画賞の候補作としてトルコから推薦されている。

ページトップへ ページトップへ